神流川古戦場跡碑
神流川の戦いは、天正10(1582)年6月18日と19日の両日にわたり、武蔵・上野国境の神流川を舞台に行われた織田信長の武将厩橋城主滝川一益と鉢形城主北条氏邦、北条氏直との戦いです。別名「金窪原の戦い」ともいわれ、金久保・毘沙吐周辺をその戦場として激しい戦いが繰り広げられました。織田信長が本能寺の倒れた直後、関東管領滝川一益は、信長の仇を討たんと上京しようとしました。これに対し、好機至れりと北条氏は5万の大軍を神流川流域に進めました。初戦は、6月18日巳の刻(午前10時頃)よりはじまり、深谷・忍衆を含む鉢形城主北条氏邦(3.000人)と上野国衆(8.000人)が戦いました。この初戦では、石山大学・保坂大炊助などの武将をはじめ300騎が討たれた北条氏邦の敗北で終わりました。伝承によれば、この敗北によって金窪城が焼失したと伝えられています。2度目の戦いは、6月19日未明、小田原より到着した北条氏直と滝川一益による総力戦が展開されました。数万(30.000人)の北条軍に対して、半分(18.000人)程の軍勢であった滝川軍はよく戦い、前半は滝川軍優勢のうちにすすみましたが、北条軍の迂回作戦によって後方を攪乱された滝川軍は軍を乱し、倉賀野方面へ敗走しました。この乱戦の中で、滝川一益の重臣笹岡平右衛門は、敗走する上野衆を後目に旗本衆とともに北条軍の本陣をめざして進み、討死をとげています。神流川古戦場跡一帯は、現在は陸上自衛隊駐屯地になっています。(現地説明板などより)
住所 | 高崎市新町 |
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